「王子様と王女様」
 
第3章 2.母の肖像(後編)
 
 
 
リリーナがリヒターの部屋のドアを開けると、リヒターはソファに座って人形で遊んでいた。
「ごめんね、リヒター。遅くなってしまったわ」
リリーナはリヒターの隣に腰を下ろした。
リヒターはすねた顔でリリーナを見つめた。
「僕との約束を忘れていたの?」
「いいえ、そうじゃないのよ」
「だって・・・」
リヒターは今にも泣き出しそうな顔で人形をいじった。
「ごめんね」
リリーナはリヒターを抱きしめた。
「淋しかったね・・・」
うっうっとリヒターはついに泣き出した。
リリーナはリヒターの頭を優しく撫でた。
「ごめんね・・・」
リヒターは涙を浮かべた瞳をリリーナに向けた。
「ママ?どうして泣いているの?」
「え?」
リヒターに言われて、リリーナは初めて自分が泣いていることに気付いた。
「どこか痛いの?」
リヒターの小さな手がリリーナの頬に触れる。
リリーナはその手を自分の手で包み、優しく微笑んだ。
「どこも痛くないわ。リヒターは優しいのね」
にこっとリヒターは笑った。
(お母様、今ならあなたの気持ちがわかるわ。兵士だったお父さんにわたくしを託したあなたの気持ちが。たとえ、自分の手でなくても、この子には幸せになってほしい。どんな手段であろうと、この子には生き延びてほしい・・・)
リリーナはリヒターの小さな体を両腕で優しく包み込んだ。
「ママ・・・」
リヒターは甘えるように甘えるようにリリーナの胸に顔を埋めた。
リヒターはリリーナの腕の中が一番安心できるのだ。
リヒターが急に大人しくなったので、リリーナはリヒターの顔を覗き込んだ。
「リヒター?」
リヒターはすやすやと眠ってしまっていた。
「あらあら、泣きつかれてしまったのね」
リリーナはリヒターの頬を撫でると、リヒターを腕に抱いて立ち上がった。
 
 ノックをして、返事を待ってからドアを開けた。
部屋ではヒイロとデュオが仕事中であった。
「ごめんなさい、またお仕事中に」
「ああ。どうした?」
ヒイロはリヒターを腕に抱いて入ってきたリリーナの側へ寄った。
ヒイロはリヒターの顔を覗き込んだ。
「寝ているのか」
「ええ・・・」
「それで、どうしたんだ?」
「お願いがあるのです」
「お願い?」
「母の肖像画を、わたくしの部屋へ飾っても構いませんか?」
リリーナは壁に立てかけられ、布の掛けられたカレリア・クライムの肖像画へ歩み寄った。
「肖像画を?」
「駄目でしょうか」
「いや、駄目ではないが。だが、なぜ、自分の部屋に?」
「自分でも不思議なほどに、自然に、お母様の側にいたいと思ったのです」
リリーナは穏やかな顔で肖像画を見つめた。
「おかしいですよね。ついさきほどまで、顔も、どんな女性であったかも知らなかった母親なのに・・・。でも、今なら、お母様がわたくしを、亡くなる間際に人に託した気持ちがわかるんです。愛する我が子を道連れになんて出来ない。それが、お母様がわたくしに示してくれた愛の形だと思うのです」
「・・・愛の形・・・?」
ヒイロはぽつりとつぶやいた。
「ええ」
リリーナはヒイロに振り返った。
「わたくしが、お母様の立場であっても、きっと同じことをしたと思うのです。もし、この子の手を離さず、一緒に命を果てたなら、その時は幸せかもしれない。でも、それはわたくしの幸せであって、この子の幸せにはならない。だって、そうでしょう?そのわたくしの一時の想いが、この子の未来を永遠に閉ざしてしまうことになるんです。それはとても、悲しいことですもの」
リリーナはリヒターの寝顔を見つめた。
「あの・・・?」
しばらくしても、ヒイロとデュオが何も言わないのでリリーナは不安な顔で2人を見つめた。
「わたくし、何かおかしなことを言いましたか?」
「いや、そうじゃない」
ヒイロは慌てて首を横に振った。
「そんな風に考えられるお前が、すごいと思ったんだ」
「それは・・・。そう考えられるようになったのは、あなたがお母様に会わせてくださったからです。お母様のお顔も、お母様がどんな女性だったかも知らずに生きていたら、きっとこんな風には考えられなかったと思います」
「そうか・・・。デュオ、リリーナの部屋の肖像画を飾ってやれ」
「はい」
デュオは快く引き受けた。
 
 
「ここでよろしいですか?」
デュオはリリーナの部屋へ肖像画を運び、壁へ飾った。
「ええ、ありがとうございます」
リリーナは微笑んだ。
「この子が目を覚ましたら、お母様のことを話してあげようと思うのです」
「そうですか・・・」
「たぶん、半分も理解出来ないでしょうけど・・・」
「そうですね。でも、たとえ言葉では半分も理解できなくても、心では感じ取るはずです。子どもには、そういう不思議な力があるのですよ。娘を見ていてそう思いました」
「そうですね。子どもは親の感情には、とても敏感ですものね」
「ええ・・・。それでは、わたくしはまだお仕事が残っておりますので、これで失礼します」
「ああ、そうでしたね。ごめんなさい、お忙しい時にばかりお邪魔をしてしまって」
「いえ。これからも何なりとお言い付けください」
デュオは深く頭を下げ、部屋を出て行った。
 
 デュオがヒイロの仕事部屋へ戻ると、ヒイロは窓際に立ち、外を眺めていた。
「どうかされましたか?」
「いや、少し考え事をしていた」
「奥様のことですか?」
「ああ・・・。デュオ、俺は素晴らしい女を手に入れたと思わないか?」
ヒイロはデュオに振り返った。
「今更、お気づきになられたのですか?」
「そうじゃない。改めて、思っただけだ。ああいう女を、極上の女というのだろうな」
「何を一人でのろけていらっしゃるんですか。確かに、王子は奥様のような素敵な女性に巡り会えて、お羨ましい限りです。ですが、わたくしにとっての極上の女は、妻のヒルデです」
デュオはにっこりと言った。
頬が少し緩んでいる。
「惚れた女が一番ということか」
「そういうことです。さ、王子、納得したとことでお仕事に戻りますよ」
途端にヒイロは嫌そうな顔をした。
「嫌な奴だな」
「何とでも」
デュオは澄ましか顔で言い返した。
 
NEXT
 
「あとがき」
後編です。ていうか、完結編ね、ひとまずの。リリーナを「極上の女」と称すヒイロ。鼻の下伸びてません?ヒイロだけならまだしも、お前もかよ、デュオ。全くもって、負けず嫌い、というか似たもの同士?の、お2人でありました。
 
2004.2004.2.7 希砂羅