「秘密のお茶会」(前編)





※ここからは、一部、書き手の都合上、ヒイロの視点でお送りします。


カチャリ、と静かにドアが開く。
その音に振り向いた俺は、思わず手にしていた手帳を床に落とした。
ドアの所に立っていたのは、バスタオル一枚を身体に巻いただけの彼女だった。
声も出ず、目を見開いて彼女を凝視した。
俺の反応を見て、彼女も慌てた様子で
「あ、あの・・・。これは、着替えを持って行くのを忘れてしまって、着るものが無くて・・・」
そう言い訳?する彼女。
こっちの気持ちなど知りもせず。
気づけば、ツカツカと彼女の側まで大股で歩き、その腕を掴むや否や、半分引きずるようにしてベッドに押し倒していた。
「ヒ、ヒイロ?」
彼女は驚いた顔で俺を見つめ返す。
「それは、嘘か本当か、どちらだ?その答え次第では、俺はお前を襲うぞ?」
「・・・ヒイロ」
彼女は俺の言葉に顔を真っ赤に染めたが、覚悟を決めたように真っ直ぐに俺を見つめた。
「まだ、あなたにお祝いの言葉もプレゼントもいただいていません」
的外れの答えを言われ、少し我に返る。
「それは・・・悪かった。何も、用意できなかったんだ。何をプレゼントすればいいのか、お前が何を欲しいのか、分からなかった」
「そうですか。では、わたくしが欲しいものをくださいますか?」
「ああ」
「わたくしは・・・」
そう言って、彼女は両腕を俺の首に巻きつけ、俺の身体をきゅっと抱きしめた。
密着した彼女の体と髪から、せっけんの香りがした。
それだけで、理性が飛びそうだった。
けれど、次に彼女が発した言葉に、俺は絶句した。
「あなたが欲しい」
何か言葉を返そうにも、言葉が見つからない。
その時、気づいた。
押し付けられた彼女の身体が細かく震えているのを。
彼女はどれほどの勇気を振り絞って、その言葉を言ったのか。
彼女の震えを止めるように、その細い身体をそっと抱きしめ返す。
「リリーナ・・・」
言葉の代わりに、彼女の名前を呼ぶ。
少し体を離し、そっと、彼女の顔を窺う。
彼女も恐る恐るという感じで、こちらを見返した。
「俺が欲しいのか?」
「・・・はい」
「その意味を知って、言っているのか?」
「・・・はい」
「覚悟は、あるんだな?」
「わたくしは、あなた以外に望むものはありません。どんなに、この瞬間を待ち望んでいたか・・・。それを、あなたは知らないのですね」
少し悲しそうに彼女は微笑う。
「あのドレスだって・・・。あなたに見ていただきたくて、選んだのです。ドレスを着たわたくしは、綺麗でしたか?」
「・・・ああ」
「他の、誰よりも?」
「綺麗だった」
「良かった・・・。パーティの間中、あなたはずっと不機嫌そうだったから、わたくしの格好が気に入らないのかと思いました」
「俺はSPだ。守るべき対象を前にして、ヘラヘラなどしていられない」
「そうね。だけど、今は、お仕事のことは忘れて。ただの、ヒイロ・ユイとして、わたくしを見てください」
「・・・リリーナ」
「もう一度言うわ、ヒイロ。・・・あなたが欲しい」
今度は真っ直ぐ俺の目を見つめ、彼女は言った。
「俺も・・・お前が欲しい」
彼女の身体をもう一度しっかりと抱きしめる。
そのぬくもりを、存在を、身体に刻み込むように。
リリーナ・ドーリアンという、ただ一人の女性をこの身体に刻み込むように・・・。


「彼も、リリーナ様にしてやられましたわね」
ドロシーは紅茶を一口飲むと、くすりと笑みを零す。
「女性に迫られて、嫌がる男性はいませんわ。ましてや、相手が想いを寄せる人物ならば、なおさら」
「確信を得たかったのです。彼も、わたくしと同じ想いでいてくださると」
「・・・なるほど。わたくしもリリーナ様を見習おうかしら」
ぼそり、とドロシーがつぶやく。
「でも、わたくしが知りたいのはきっと、相手の気持ちではなく、自分の気持ちですわね」
遠くを見つめ、まるで独り言のようにドロシーは言う。
「ご自分の?」
「時々、疑いたくなるのです。わたくしは本当に彼を、特別に思っているのかと」
「ドロシー・・・」
リリーナは不思議な想いでドロシーを見つめた。
今まで、彼女に抱いていたイメージが変わっていく。
彼女もわたくしと同じ・・・。
正直、彼女とこんな話を出来るとは思っていなかった。
彼女の方が、自分よりも大人だと思っていた。
けれど、彼女もわたくしも、まだ、恋を知ったばかり・・・。
同じ、スタートラインに立っている。
そう思えたことで、今になってようやく、彼女と本当の意味での“友達”になれた気がした。


その後は、互いの近況を交換しあい、時間は過ぎた。
二人が最後の紅茶を味わっている時、外で車の音がした。
ドロシーが席を立ち、テラスへ出て外を確認する。
「ナイトのご登場ね」
ドロシーは時間を確認し、口元に笑みを浮かべる。
「ナイト・・・?」
リリーナも席を立ち、ドロシーの隣に並び、外を確認する。
外に止まった車から、カトルとヒイロが降りてくるのが見えた。
「ヒイロとカトル君・・・?」
「彼と、約束をしていたのです。呼んだのは、彼一人ですけれど。ヒイロ・ユイまで来るとは予想外でしたわ。リリーナ様をお迎えにいらしたのかしら?」
「約束はしていませんけれど」
リリーナは小さく首を横に振る。
玄関へ歩きかけたカトルがこちらに気づき、顔を上げると、笑顔で手を振った。
ヒイロもつられてこちらを見上げる。
「今、そちらに行くよ」
カトルはそう言うと、玄関のチャイムを鳴らす。
少しして、執事に案内され、二人が部屋へやって来た。
「リリーナさんもいらしていたんですね」
「ええ。お仕事がお休みだったので、久しぶりにドロシーとお茶でもと思って」
リリーナが微笑む。
「けれど、もう失礼いたしますわ。お約束をしていらっしゃるのでしょう?邪魔者は消えます」
「邪魔者だなんて。もしよろしければ、リリーナさんも一緒に。ヒイロもいますし」
「いいえ、失礼いたしますわ。ヒイロは、どうされます?」
リリーナは初めてヒイロへ顔を向ける。
ドロシーとの会話を思い出し、心なしか顔が赤い。
「俺も失礼する。カトルとは、車の中で仕事の打ち合わせを済ませた」
「そうですか。では、ご一緒に失礼いたしましょう」
「ああ・・・」
「そういうことで、ドロシー。今日は楽しかったわ。ご招待をありがとう」
「どういたしまして、リリーナ様。わたくしも、楽しかったですわ。また、ぜひ・・・」
「ええ。楽しみにしています。では、行きましょう、ヒイロ」
リリーナはドロシーとカトルに微笑むと、ドアを開けた。
ヒイロもそれを追う。


廊下に出ると、リリーナは足を止め、ヒイロに振り返った。
「わたくしがここにいることを知っていたの?」
「いや、偶然だ」
「そうなの」
少し残念そうに、リリーナの声のトーンが下がる。
「期待が外れて残念そうだな」
「そんなことは・・・ないけれど」
「ここでお前に会えたのは偶然だったが、会いにいくつもりではいた」
「え?」
「現在、お前のスケジュールを管理しているのは俺だ。俺はてっきり、お前は家にいると思っていた。お前もそうすると言っていたからな」
「そう・・・ですね。わたくしも最初は家で大人しく過ごすつもりだったのですが、ドロシーに呼ばれて来たのです」
「そうか・・・」
「あの、話の続きは家に戻ってからでも・・・?」
リリーナが伺いを立てるように小首を傾げる。
よくよく考えれば、リリーナのその発言は正しい。
人様の廊下で長話もおかしなものだ。
ヒイロもそれに気づき、小さく頷く。
「ああ。そうするか。家まで送る」
「はい」
リリーナは微笑み、お願いします、と小さな声で言った。


「帰ったみたいだね」
ようやく廊下が静かになり、カトルは苦笑を浮かべた。
「で?リリーナさんと何を話していたの?」
「女同士の秘密のお話ですわ」
意味深な笑みを浮かべ、ドロシーが答える。
「そうなの?ぜひ聞きたいところだけど、秘密じゃあ、仕方ないね」
「お知りになりたい?」
「教えてくれるのかい?」
「ええ、よろしくてよ。ただし、条件を一つ、飲んでいただくわ」
「条件?」
「今夜は、いつものようにはぐらかして逃げないで、はっきりしていただきたいわ」
「・・・ドロシー?」
「わたくしは、あなたにとって特別な女性なのかどうか、その点をはっきりしてちょうだい」
「はっきりしたとして、君は信じるのかい?いつも、僕の気持ちを疑うのは君の方だ。君こそ、逃げないでほしい」
「わたくしが逃げている、とおっしゃるの?」
「ああ、そうだよ。君はいつだってはぐらかすんだ。それを逃げているとは言わないの?」
「・・・わかったわ。そんなにおっしゃるのなら、今日は逃げないわ」
「本当だね?」
「ええ」
「わかった。だったら言うよ。僕は、君の事を自分にとって、大切な女性だと思っている。君が大事だよ」
「カトル・・・」
「さあ、君の番だ、ドロシー。僕の言葉を信じてくれるかい?」
「信じるわ。今夜、泊まっていってくださるのなら」
「・・・君がそれを望むなら、仰せのままに」
「またそうやって、最後の決断はわたくしに任せるのね。そんなにわたくしが怖いのかしら?」
「そうじゃない。君は、傷つきやすいから」
「っ!」
カトルの言葉に、ドロシーは返す言葉を失くした。
その瞬間から、主導権が自分からカトルに移ったことに気づいたが、ドロシーはそれ以上、反発することをあきらめた。
だから、降参のサインとして、ため息を一つ落とした。



「あの二人、実際のところはどこまで進展しているのかしら?」
車が走り出すと、リリーナが素朴な疑問を零す。
「さあな。あの二人がそういう関係になる事態、俺には疑問だがな」
「あら、どうして?結構、お似合いだと思いますけど?」
「そうなのか?」
「ええ。わたくしはそう思います。そう見えません?」
「カトルの方があの女に尻に敷かれているように見える」
「くすっ。そう見えなくもありませんね。でも、それはカトル君が優しいから、そう見えてしまうのかもしれません。実際は・・・ご本人たちにしか分かりませんわね」
「ああ・・・」
「それで、あなたはわたくしを家に送ったら、そのままお帰りになるおつもり?」
「仕事は片付けてきた。打ち合わせもカトルと車の中で済ませた、と言わなかったか?」
「・・・そんな遠回りな言い方では分かりませんわ」
リリーナがヒイロを軽く睨む。
だが、決して本気で怒っているわけではない。
リリーナは、ヒイロ・ユイがこういう男だということを知っているから。
「わたくしのオフは、今日だけです。明日の朝には、また“ドーリアン外務次官”に戻らなければなりません。だから、今日一日は、ただの“リリーナ・ドーリアン”として、あなたの側にいたいの」
「リリーナ・・・。了解した。今から目的地を変更する」
「え?何処へ行くのです?」
「俺の、今住んでいる家だ」
「あなたの?」
「不満か?」
「いいえ」
リリーナは頬を淡く染め、嬉しそうに微笑んだ。


それぞれの想いがある。
打ち明けるには勇気がいる。
だから・・・紅茶はいかが?

Fin

「あとがき」
か、書けたー!!疲れたっす。すんごい時間かかったよ。思いついてから書き出すのにも時間が掛かり、書き上げるのにも時間が掛かり、全体的に時間が掛かりましたね。
この話は、ドロシーの「彼に、ヒイロ・ユイに初めて抱かれた時のことを、憶えていて?」というセリフが突然出てきたのが最初です。そっから、いろいろと足していきました。
ドロシーとカトルの関係って、実際のところ、どうなっているのかは定かではありませんが、私が書くSSの中では、友達以上恋人未満という、はっきりしない関係で落ち着いています。私の場合、主がヒイロ×リリーナなので、周りの人間たちの人間関係って、結構曖昧です。書きながら、どうしようかなぁと考えてしまう。今回は、「なかなか素直になれないドロシー」になりました。いかがでしたでしょうか?
にしても、長い話になってしまったなぁ・・・。

2006.8.20 希砂羅