「その手を離さないで」


怖がるな
自分に言い聞かせ、彼女の手を取る。
珍しく緊張した自分に一番驚いたのは、他の誰でもなく・・・自分自身。
彼女は何かを言いかけ、しかし、言葉を発することはなく、そっと俺の手を握り返した。

陳腐な夢だ。
目覚めて毒づく。
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。


彼女と話をするのは、およそ1ヶ月ぶり。
この1ヶ月、互いに仕事が忙しく、話すこともおろか、顔を合わすこともなかった。
自分達は決して、恋人同士と呼ばれるような関係ではない。
そんな甘い空気を作れる関係には至っていない。
1ヶ月も会わないと、何となく気まずい。
「お久しぶりね」
彼女が柔らかく言う。
互いに対して、好意と呼ばれるものは、少なくともあるのだろう。
しかし、それが恋や愛になるのか、はっきり言ってわからない。
彼女と交わす言葉は、おおよそ仕事関係の事務的な話になる。
彼女が元気かそうでないかは、声音と表情でわかる。
今日の彼女の声と表情は柔らかい。
元気なようで、安心した。
けれど、小さなため息をつかれると、わからなくなる。
彼女もまた、心を隠すのが上手いから。
疲れていても、弱みを見せない。
単に、それは彼女の強がりなのか、それが彼女の性格なのか、未だ理解できていない。


それをカトルに話した。
自分から相手に話を振ることは滅多にない。
相手が勝手に話すのを聞いていることが多い。
相手もそれを理解しているので、いきなり話を振られ、少なくとも驚き、しかし、顔は笑っていた。
俺らしくなかったか。
相手の反応を見て、話を振ったことをすぐに後悔した。
慣れないことはするものじゃない。
しかし・・・。
「いや、違うんだ。そういう意味で笑ったんじゃなくて、嬉しかったから。君が僕にそういう話を振ってくれることが。かと言って、僕も女性関係が豊富というわけではないけど。
女性のことはデュオの方が詳しいんだろうね。でも、デュオにそんなことを聞いたら大げさになるからね」
そう言って、笑った。
で?
促すと、
「ああ、そうだね」
と咳払いをする。
「女性はね、好きな人の前では強がってしまうものだよ。素直に甘える人もそりゃいるけど、リリーナさんはそういうタイプじゃないでしょう?」
「そうなのか」
「うーん。少なくとも、僕はそう思っているけどね」
なるほど・・・。
と、頷いてはみたものの、すんなりと理解できたわけではなかった。
「でも、やっぱり、本人に直接聞いてみた方がいいんじゃないかな」
「・・・・・・」
「ごめんね、役に立てなくて」
「・・・いや、変なことを聞いて悪かった」
とりあえず謝り、その場を離れた。



「何をそんなに真剣に悩んでいるの?」
声に振り向くと、仕事の書類を両腕に抱えた彼女が立っていた。
「・・・元々こういう顔だと思うが」
「嘘。眉間に皺が寄っているわ。確かに、いつもムスっとはしているけど、普段はそんなに眉間に皺は寄っていないもの」
「・・・早く仕事に行け。大事な会議なんだろう」
「ええ、そうなのだけど・・・。大事な資料を忘れてしまって、部屋に取りに戻ったの」
「・・・昨日はオフだったんだろう。しっかりと休んだのか」
「え、ええ」
と、彼女は頷き、少し視線を反らす。
「・・・嘘が下手だな」
「・・・あなたは嘘を見抜くのがお上手ね。・・・っと、あと10分だわ。ごめんなさい、行かなきゃ。またね、ヒイロ」
通り過ぎる彼女。
また見送るだけなのか。
小さな後悔のようなものが心に浮かび、チクリと胸を刺す。

「リリーナ」
気づけば名前を呼んでいた。
彼女が振り向く。
「どうしたの?」
「・・・休め」
「え?何を言って・・・あっ・・・」
有無を言わさず、その腕を掴む。
引っ張った拍子に、彼女が腕の中に抱え込んだ書類の束が床にバサリと落ちた。
「どうしたのよ、ヒイロ。あなたらしくないわ」
彼女はしゃがみこみ、床に落ちた書類の束を拾い、再び腕に抱える。
「・・・どうして、急に休めだなんて」
「顔色が悪い」
「・・・そんなことないわ」
彼女は顔を俯かせたまま、呟く。
「気のせいだわ」
「化粧で誤魔化しても分かる」
「どうして・・・?」
ぽたっ。
床を濡らす雫。
ぽたっ。
「・・・どうして、あなたには分かってしまうのかしら。パーガンでさえ、騙せたのに・・・。悔しいわ」
「リリーナ。俺と一緒に来い」
「え?」
その手を掴み、彼女を立たせる。
「少し、寄り道をするが」
彼女の手を掴んだまま、歩く。


「え?」
「頼んだ」
カトルにリリーナが抱えていた書類の束を委ねる。
「つまり、僕がリリーナさんの代理、ということ?」
「そういうことだ。リリーナは体調を壊し、今日も休む」
「・・・・・・」
カトルが、俺が背に隠したリリーナをちらりと見る。
「頼む」
念を押すと、カトルはため息をつき、わかったよ、とうな垂れた。
「ヒイロの滅多に無い頼みだもんね」
「ごめんなさい、カトル君」
リリーナは一歩前に出て、カトルに頭を下げる。
「いいんですよ。確かに、ここ1ヶ月、リリーナさんは働きすぎでしたから。文句を言う人がいたら、リリーナさんのスケジュール帳を見せてあげますよ」
「・・・ありがとう」
「では、行って来ますね」
カトルが受け取った書類を腕に抱え、部屋を出て行く。


「それで、今からどこへ連れていってくれるの?」
「・・・遊びにでも行くと思ったのか?」
「あら、違うの?」
「・・・自分の顔色を鏡で見てからものを言え」
彼女は肩をすくめ、くすりと笑う。
「・・・だって、こうやって手を繋いでいると、デートみたい」
「・・・・・・」
そう言えば、ずっと手を握ったままだった。
よく見ると、引っ張って行くつもりで握ったはずの手は、いつのまにか、しっかりと互いの指を絡ませ、組み合わさっている。
いつの間にこうなったのだろう。
しかし、嫌な気分ではなかった。
「車を回してくる。ここで待っていろ」
手を離そうとすると、きゅっと彼女が指に力を入れた。
「車まで一緒に行きます」
「・・・わかった」


結局、彼女がベッドに入るまで、その手が離れることはなかった。


Fin


「あとがき」
これは何じゃろか。
冒頭の4行が浮かび、しばらく放置してありました。何か書けないかしらーと。
そして、かなり日が経ってから、続きを書きました。
思いついたら続きを書いて・・・という感じに書いていたので、最初から最後まで、繋がっているようで、繋がっていない・・・?と少々不安な出来上がりとなりました。
甘いのか?

2004.4.7 希砂羅