「伸びた髪」


「だいぶ、伸びましたね」
そう言って、彼女は向かいに座る俺の髪を少し指で掴んだ。
元より、自分の身なりに無頓着な性質なので、髪の毛が伸びたことも大して気にならなかった。
「少し、カットした方がさっぱりしますわよ。ほら、前髪が目に入りそうだもの。目にも悪いわ」
「・・・だったら、お前が切ってくれ」
俺の言葉に、俺の髪を触っていた彼女の手の動きがぴたりと止まる。
「わたくしが・・・?」
「ああ」
「本気で言っているの?」
「俺が冗談を言うような性格だと思っているのか?」
「いいえ、そんなことは思っていないけれど・・・。でも、わたくし、人の髪を切ったことなんてないわ。自分の髪だって、美容師さんにやってもらっているし」
「ものは経験だ」
「でも・・・」
「嫌か」
「失敗したら怒るでしょう?」
「出来にもよる」
「・・・・・・」
「嫌か」
「・・・わたくしで、良いの?」
彼女はなおも眉間にしわを寄せて問いかける。
「あまり、他人に髪を触られるのは好きじゃない」
本心を告げると、彼女はあら、と軽く目を見開く。
「わたくしなら、いいの・・・?」
「・・・ああ」
「わたくしは、特別?」
「・・・ああ」
彼女は満面の笑みを浮かべて立ち上がると、急々と何処かへ行き、すぐに戻って来た。
戻って来た彼女の手にはハサミが握られていた。
「残念ながら髪を切る専用のハサミはないのだけど、構わない?」
「別に、何でもいい。切れるなら」
俺の言葉に彼女は苦笑する。
「まあ、いいわ。さあ、道具は用意できたから、後は、場所ね。ベランダで切りましょう。こちらへ来て」
彼女は俺の手を引き、ベランダへ出ると、そこにあった椅子へ俺を座らせる。
「えっと、何か首に巻くもの・・・。ちょっと待っててくださいね」
彼女は一端部屋へ戻り、手に大きめのスカーフを持って戻ってきた。
「これを首に巻きますね。服に髪がついてしまいますから」
彼女は加減して俺の首にスカーフを掛ける。
「これでいいわ。では、切りますわよ?」
「ああ」
「少しで、いいですよね?ほんの数ミリ・・・」
「ああ。伸びた分だけ切ってくれればいい」
「・・・わかりました。目を閉じていてくださいね」
チョキっと、彼女は最初の鋏を入れる。
「人の髪を切るのなんて初めてだから、とても緊張するわ」
「・・・自分の手は切るなよ?」
「わかってますっ」
彼女が少しムッとしたように答える。
「そんなドジなことは・・・。あっ・・・」
彼女が小さな悲鳴を上げる。
「どうした?」
目を開け、顔を上げると、左の人差し指の先を口に含む彼女がいた。
「切ったのか・・・」
「少し・・・だけです」
「見せてみろ」
彼女がそっと指を差し出す。
指の先、少し血が滲んでいた。
その指の先をそっと舌で舐める。
「あっ・・・」
彼女がまた小さな悲鳴を上げる。
見ると、彼女は頬を赤く染めて俺を見ていた。
「応急処置だ」
「・・・はい」
「救急箱は?」
「えっ?あ・・・、今、持ってきます」
彼女は慌てて部屋へ戻り、救急箱を持ってきた。
それを受け取り、彼女を椅子へ座るよう促す。
「あの、少し切っただけだから、大丈夫です」
「それでも、消毒はした方がいい。少しの傷でも、そこから細菌が入ったら厄介だぞ?」
「・・・そうね」
彼女は小さく頷き、指を差し出す。
手を取り、切った指に消毒をし、絆創膏を貼る。
簡単な処置ではあるが、しないよりはマシだ。
「ありがとう」
「ああ」
「あの、続きをしても・・・?」
「好きにしろ」
「はい・・・」
彼女は無邪気に微笑み、俺の前に立つ。
「ヒイロの毛って、硬いですよね。芯があるというか・・・。性格が反映されるのかしら」
彼女はくすくす笑いながら、鋏を入れる。
「これぐらいでいいかしら。瞳が半分、覗くくらい。見てみます?」
彼女が鏡を差し出す。
受け取り、確認する。
「ああ。これくらいでいい」
「ふぅ〜」
答えると、彼女は深く息を吐いた。
「何だ」
「だって、すごく緊張したんだもの。これで、駄目だって言われたらどうしようかと・・・。でも、良かったです。良い経験にもなりましたし」
「良い経験?」
「また伸びたら切らしてくださいね?」
「・・・次は、指は切るなよ?」
「気をつけます」
彼女は恥ずかしそうに笑った。
そんな彼女が愛しくなり、抱き寄せた。
「きゃっ・・・。何ですか?突然・・・」
「別に・・・」
短い答えに、彼女は、それ以上は追及せず、黙って俺の髪を撫でた。
「今度は、あなたがわたくしの髪を切る番ですよ。今回は、美容師さんに頼んでしまったけれど、少し伸びたら、今度はあなたが切ってくださいね?」
「失敗したら怒るんじゃないのか?」
「出来にもよります」
くすくすと彼女は楽しそうに笑いながら言う。
このやりとりが、さきほどのやりとりと同じことに気づいたのだろう。
「わたくしもね、あまり人に髪を触られるのは好きではないのよ。だから、いつも幼いころからお世話になっている、気を許した美容師さんにお願いしているの」
「・・・・・・」
「女の方ですよ?」
「何も言っていない」
「でも、眉間に少しシワが寄りましたよ?」
彼女は俺の首に腕を絡めたまま、顔を覗き込む。
「・・・・・・」
「男性で、わたくしの髪に触れるのはあなただけです。あなただけに許します。あなたは・・・わたくしにとって特別な方だから」
「リリーナ・・・」
「だから、あなたもわたくし以外の女性にその髪を触らせないで・・・。約束、してくださいます?」
「・・・ああ」
「では、約束の指切りをしましょう」
彼女が体を離し、小指を差し出す。
その小指に自分の小指を絡める。
「あなたとわたくしの秘密の約束・・・」
彼女は頬を染め、絡めた小指を見つめる。
「素敵・・・」
「リリーナ・・・」
「はい」
彼女が顔を上げる。
その唇に、口付けた。
彼女は驚いて目を見開いた。
「ヒイ・・・ロ・・・?」
「・・・したかっただけだ」
「ヒイロ・・・。気まぐれでも、嬉しいわ」
「気まぐれ・・・?」
「違うの?」
「違う・・・」
「では、この口付けの意味を教えてください」
「・・・言わなくても、お前は知っているんだろう?」
「いいえ。わたくしはエスパーではないもの。言葉で伝えてくれなくてはわかりません」
「・・・・・・」
「ヒイロ」
「・・・好きだ」
やっとの思いで言葉を吐き出す。
「・・・わたくしもっ」
彼女は微笑み、俺に抱きついた。
途端に固まる俺。
こういう状況に、実は弱い。
急に動きの固まった俺を、彼女はおもしろそうに見つめる。
「ヒイロって、実は押しに弱いのですよね。そんなところも、好きですよ」
「分かったから・・・勘弁してくれ」
「駄目です。もう少し、困ったあなたも見ていたいわ。いつも、あなたに主導権を握られてしまうもの。こういう状況も味わさせてください」
彼女は何処までも俺を追い詰めていく。
「好きですから・・・」
「ああ・・・」
「大好きです」
「ああ」
「あなたも、わたくしを好き・・・?」
「答えの分かっている質問をするな。それに、さっき言っただろう」
「もっと言ってください」
「無理だ」
「何故?」
「やっとの思いで言ったんだ。そんな簡単に口に出来る言葉じゃない」
「それは、わたくしのことを大事に思ってくださるから?」
「・・・ああ」
「ありがとう。ヒイロ。それで・・・ようやく納得できました」
彼女が俺から離れる。
離れた彼女の瞳から、涙が一滴流れて落ちた。
「リリーナ・・・・?」
なぜ泣くのかと、戸惑う。
「ごめんなさい」
彼女が手で涙を拭う。
「嬉しくて・・・」
微笑う彼女に手を伸ばす。
「来い」
「ヒイロ・・・」
「離れるな」
「はい・・・」
彼女は離れた分だけ歩み寄り、俺の胸にその体を預けた。
遠慮がちに体を預ける彼女の体を強く抱きしめる。
「俺は、お前が側にいるだけで、それだけでいい」
「ヒイロ・・・。わたくしもです」
彼女は俺の首に両腕を回し、その体を預けた。

彼女の髪が伸びる頃、きっとまた、同じようなやりとりが繰り返されるような、そんな予感を抱いて、彼女の髪に口付けた。


Fin


「あとがき」
な、何とか無事終わりました・・・。これは書きかけのままずっとネタ帳に入れてあったんですが、たぶん、「あいうえお作文」の時に思いついたネタの一つではないかと・・・。じゃなきゃ、こんな題名は付けないかな・・・と。もう、本当にね、続きを書くぞーと意気込んだのはいいんですが、なかなか前に進めず、少し書いては閉じて、を繰り返してました。で、今回、今日こそは終わらせるぞ〜と再び意気込んで頑張りました。最後、終わるに終われなくて困ってしまいましたが、何とか終わらせました。ラルクの新曲「叙情詩」を聞きながら書いたので、少し影響されました。はは、私しか分かんないけど。

2005.5.22 希砂羅