「初めて」
後編





ブザーが鳴る。
劇場内が真っ暗になり、スクリーンに映像が映し出される。
映画のストーリーは、偶然に出会った“彼と彼女”が恋に落ちるという、どこにでも転がっていそうな恋話。
けれど、それはただの恋話ではなく、彼が戦場へ出向くことが決まったことから、話は大きく展開を迎える。
彼は彼女が待つ町へ戻ることを胸に戦いへ身を投じ、彼女は彼が自分の待つこの町へ戻ってくることを祈り、月日は流れる。
やがて戦争が終わり、戦いを終えた兵士たちが町へと戻ってくる。
電車の駅で兵士たちを出迎える、恋人や家族。
その中に、彼女もいた。
彼女は大勢の兵士の中から彼を見つけ出す、けれど、彼は彼女に気付かない。
名前を呼ぶと、彼は彼女を探すように瞳を泳がす。
その仕草に、彼女は気付いてしまう。
彼が戦いによって視力を失ってしまったことを。
けれど、彼女は優しく微笑み、彼の頬を両手で包んだ。
「おかえりなさい」
と。
暖かな涙を流し、彼女は微笑む。
彼には見えないとわかっていても。
そして、頬を包む彼女の手を、彼はその手で包む。
「ただいま」
と、彼もまた涙を流し。
きつく抱きしめあう、二人。
月日は人を変えてしまうと、誰かは言う。
けれど、二人にとって、互いは互いでしかない。
そう、二人は知っているから。
変わらぬ愛が、そこに存在する。
エンディングは、結婚後、小さな家で仲睦まじく幸せに暮らす二人の姿が描かれていた。

映画が終わり、隣を見ると、彼女は涙ぐみ、ハンカチで瞳を押さえていた。
「大丈夫か・・・?」
「ええ・・・」
彼女は瞳を潤ませたまま顔を上げ、微笑む。
「いい、映画でしたね」
「そうだな」
「永遠に変わらぬ愛もあると、教えてくれたわ」
「ああ・・・」
「ヒイロ。どこか、ゆっくり出来る場所はありませんか?」
「ゆっくり出来る場所か・・・。そうだな」
必死に頭を動かすが、平日とはいえ、むやみに喫茶店へ入るのは危険だ。
「わたくしの部屋でも、良いですよ?」
考える俺に、彼女が出した提案はそれだった。
「お前の・・・?」
「たぶん、一番“安全”だと思います」
彼女が俺の気持ちを察したように言う。
「そうだな・・・。そうかもしれない」
「行きましょう、ヒイロ」
「ああ」
劇場内が完全に明るくなる前に出たほうが安全だ。
彼女は鞄から折りたたんだ帽子を取り出し、目深に被る。
「持ってきていたのか」
「念のために、です」
「そうだな。では、行くか」
「はい」
彼女が後を着いてくるのを確認しながら先に歩く。
映画館を出て街中に出ると、ここへ来たときよりも人通りが増えている。
しかし、外は雨。
傘で顔は隠せる。
傘を差し、二人で並んで歩く。
「ヒイロ」
「何だ」
「お願いが、あるのですけど」
「ああ。何だ」
「わたくし、男性の方とデートをするのは初めてと言ったでしょう?」
「ああ」
「手を繋いで歩くことも初めてなんです」
彼女の言葉にぴたりと足を止め、改めて彼女を見る。
「何と言った・・・」
「ですから・・・。ああ、いいえ。素直に言った方がきっと伝わりますわね。その・・・あなたと手を繋いで歩きたいのです」
頬を淡く染め、彼女が恥ずかしそうに目を伏せる。
「無理にとは、言いませんけど・・・」
彼女の声が小さくなる。
だから、その手を取った。
「行くぞ」
少し乱暴に手を引く。
「あっ・・・ヒイロ・・・。そんなに早足でなくても・・・」
「あ、ああ。すまない」
慌ててスピードを緩めると、くすくすと、彼女の小さな笑い声が耳に届く。
「何がおかしい?」
「ヒイロったら、照れているのですか?」
「別に・・・」
傘で顔を隠す。
きっと、彼女には見えてしまっただろう。
自分が今、どんな顔をしているのか。
「ヒイロ。そんなにひどい雨ではないですから、ゆっくり歩きましょう。あなたとこうして並んで歩くのも、こういうデートも、良いと思うわ」
彼女が俺の手をきゅっと握る。
手を通し、彼女の熱が伝わる。
彼女の鼓動が、俺の鼓動が、互いの手を通し、浸透してゆく。
なるほど、こういうもの悪くない。


ゆっくりと歩いたら、やはり行きよりも少し時間がかかった。
けれど、嫌ではなかった。
たわいのない会話も。
歩くたびに揺れる互いの傘の先がぶつかるのも。
苦にならなかった。
不思議だな、と思う。
自分がこんなに穏やかな気持ちで道を歩くことができることが。
数年前には、想像も出来なかったことだ。

彼女のマンションに着く。
「着いてしまいましたね。並んで歩きながらお話をするなんて、公務中にはほとんど出来ませんもの。楽しかったわ」
「そうか」
「もう少し、一緒にいてくださいますよね?」
「ああ」
「ありがとう。では、今度はわたくしの部屋で。紅茶くらしかございませんけど。おあがりになって」
「ああ」
彼女の部屋は、花の香りがした。
玄関に花が飾ってあった。
「綺麗なお花でしょう?先日のわたくしのお誕生日に、お母様がくださったの」
「そうか」
「さあ、どうぞ」
彼女の部屋へ通される。
仕事の都合上、彼女の部屋を訪ねることは度々あったが、プライベートで部屋へ上がったのはこれが初めてだった。
「そちらのソファに」
「ああ」
「今、紅茶を入れますね」
彼女がキッチンへ向かい、紅茶を入れて運んできた。
彼女は俺の隣に腰を下ろし、窓から外を見つめた。
「今日は、一日雨ですわね」
「ああ」
「でも、恵みの雨かもしれません。だって、こうしてあなたと二人でいられるのだもの」
「リリーナ・・・」
「ヒイロ。今日は本当にありがとう。映画館で映画を観るのも、男性の方と手を繋いで歩くのも、わたくしにとっては初めてのことばかり。だから、とても嬉しかったわ」
「普通の男だったら、もっといいプランを立てるんだろうが、俺はそういうことには疎いからな」
「そんなことを気にしていらしたの?ヒイロも、やっぱり普通の男の子なんですね」
「俺が?」
「出会った頃に比べれば、あなたは変わったわ、ヒイロ。出会った頃は、人を寄せつかせないほどに、冷たい空気をまとっていたもの・・・。だけど、あなたがわたくしを遠ざければ遠ざけるほど、わたくしは側にいたいと思った。あなたには、迷惑だったでしょうね?」
「・・・不思議で仕方がなかった。俺はお前を殺すつもりだったのに、お前は俺を恐れるどころか、追いかけて来ただろう。あれには、正直戸惑った。お前みたいな人間に初めて会った」
「ふふ・・・。それは、わたくしも同じですよ?ヒイロ。わたくしも、あなたのように無茶をなさる人に初めて会いました」
瞳を合わせ、微笑みあう。
ある意味、似た者同士、いや、変わり者同士かもしれない。
「でも、あなたと出会ったことを後悔したことはありません。あなたに会うたび、この人と出会えて良かったと、いつも思うの」
「リリーナ・・・」
「あなたも、もう少し欲張ってもよいのよ?ヒイロ」
「欲張る・・・?」
「ですから・・・」
そこで彼女は顔を赤くし、俯いた。
「今日のように、もっとわたくしを誘って。そして、幸せな気持ちにしてください」
「リリーナ・・・」
参ったな。
言葉が出ない。
気持ちばかりが膨らんで、言葉にならない。
「もっと・・・側にいてください」
そう囁くように小さな声で言うと、彼女はそっと俺の方へその体を寄せた。
どうしていいのか分からずと惑っていると。
彼女が上目遣いで俺を見つめる。
「肩を抱いてくださらないの?」
「・・・・・・」
参った・・・。
戸惑いつつ、彼女の肩へ腕を伸ばし、その細い肩を抱く。
「こんな気持ちになったのは、あなたが初めて・・・。自分でも不思議なの・・・・。だけど、これが・・・」
と言いかけて、彼女は一呼吸した。
「誰かを好きなるということなのね」
彼女の肩を強く抱き、引き寄せる。
ぐいっと引き寄せたせいで、ほとんど抱き合うような格好になる。
「ヒイロ・・・」
「俺も、誰かに対してこんな気持ちになったのは初めてだ」
「わたくしと同じ思いで、あなたはいてくださるの?」
「ああ・・・」
「嬉しいです、ヒイロ」
俺の肩に顔を埋める彼女の顔を手で持ち上げる。
至近距離で見つめあう。
「ヒイロ・・・」
「リリーナ・・・」
その淡く色づく唇へ、自分の唇を重ねる。
自分がこんなにも優しい口付けが出来るとは知らなかった。
誰かに対し、こんなにも優しい気持ちを持てるとは・・・。

唇はすぐに離れた。
彼女は恥かしそうに、顔を隠すように俺の肩へ顔を埋めた。
「どうしましょう、ヒイロ。わたくし、幸せすぎて変になりそうです」
「もっと、変にしてやろうか?」
耳元の髪を書き上げ、意地悪く囁くと、意味を読み取った彼女は真っ赤な顔をして小さく震えた。
「ヒイロって、意地悪なのね・・・」
「知らなかったのか?」
「・・・今、知りました。でも、これも初めて。今日は初めてづくしで、もう胸がいっぱいです。だから、この先はもう少し待ってくださいます?」
「・・・了解した」
彼女の体を抱きしめ、髪を撫でる。
「大好きです、ヒイロ」
彼女の告白に、静かに頷く。
「初めてが、あなたで良かった・・・」
「それは、俺も同じだ」
「ヒイロ・・・」
「リリーナ・・・」

互いの想いは、互いの胸へしっとかりと届いた。
これはそれを実感できた、ある日の出来事である。

Fin



「あとがき」
キリ番を踏まれた方にはリクエストをいただくようにしているのですが(キリ番を踏まれなくてもリクエストは受付け中です))、今回のこのSSは、3333番を踏まれた「vanity様」より、リクエストをいただいて書かせていただきました。リクエスト内容は、ヒイリリで、「ヒイロのプロデュースのデート」というものでして・・・。「世間に疎そうなヒイロがどんなデートを企画するのか?そのデートをリリーナがどう受け取るか…そんなのが読んでみたいのでお願いします(キスは不可欠ってことでお願します)」ということでしたが・・・難しかったですねぇ。いえ、書き始めるのは早かったんですよ、リクエストをいただいて、その日に書き始めて・・・。んが、どうもダラダラと長くなっていってしまって、結局、前編後編という形をとらしていただきました。
Vanity様、リクエストをありがとうございました!いい勉強になりました。

2005.4.28 希砂羅