3333HITVanity様へ


「初めて」
前編


サラサラと音を鳴らして降る雨の中、彼女を待つ。
そこは、彼女が内緒で暮らす、マンションの玄関。

外での待ち合わせを言い出した俺に、彼女は一瞬、不思議そうな顔をした。
“どうして?”と。
いつも、オフには無防備に素顔を晒して街へ繰り出そうとする彼女へ、口がすっぱくなるほどに変装をしろとうるさいくらいに言う俺が、絶対に部屋のドアの入り口から外へ出るのさえ大げさに警戒する俺が、外で彼女と待ち合わせをしようなどと。
何と不思議な・・・。
何と無防備な・・・。
そんな顔をして彼女は俺を見た。
ように思う。
けれど、頭の回転の速い彼女は、すぐにそれを微笑みに変え、はい、と頷いた。
それが、世間の一般的に言う、デートの誘いであると、彼女は気付いたのだろう。
たぶん・・・。

デート。
とは言っても、それは何をどうすることなのか、俺が知るはずもない。
けれど、時々見せる、彼女の憂いを帯びた顔を見るたび思うのだ。
もしかしたら、そんな顔をさせているのは俺なのかもしれないと。
自分たちが同じ想いを互いに抱いていることは、空気でわかる。
だが、それを知ったところで、その先どう進めばいいのか、自分はわからない。
まさか、彼女へ聞けるわけもない。

そんなことを考えている間に、約束の日は訪れた。
案の定、俺が無謀なことをしようとしていると空も気付いたのかもしれない。
外は雨。
嵐ではないことが、救いではあるが。

「ヒイロ」
声に振り返る。
そこに、彼女が立っていた。
仕事の時、いつも後ろで束ねている髪は真っ直ぐに下ろしている。
耳に光るピアス。
それは、昨年のクリスマスに俺がプレゼントしたもの。
白色の裾が広がるワンピースにピンクのカーディガンを羽織った彼女が、そこに立っていた。
この姿を見て、誰があの有名なドーリアン外務次官と思うだろうか。
「お待たせしました。支度に手間取ってしまって・・・。だいぶ、待ちましたか?」
片手に傘を持ち、彼女が小首を傾げる。
「いや・・・」
短く答えると、よかった、と彼女は微笑んだ。
「生憎の雨ですわね。でも、丁度良いのかも・・・」
「雨が降って良かったと?」
「ええ・・・。だって、傘で顔が隠れれば、誰にも邪魔されずに並んで歩けますわ」
「そうだ・・・な」
彼女の言葉になるほどと頷く。
それも一理あるかもしれない。
「では、行くか・・・」
「はい」
彼女は頷き、傘を差して俺の隣へ並んで歩き出す。
「最初は、どちらへ行くのですか?」
「最初は・・・」
胸ポケットにしまったメモをこっそりと見て確認する。
「映画だ」
「うふ。本当に、デートですわね」
彼女は笑顔でくるくると傘を回す。
「あ、ああ・・・」
傘を回したら、顔を隠す意味がないだろう、などと思いつつ頷く。
「わたくしね、ヒイロ。男性の方とデートをするの、初めてなの。ヒイロが、初めてなの。だから、とても、嬉しいの。今日が来るのが待ち遠しくて仕方がなかったわ」
「そうか・・・」
たまには慣れないこともしてみるものだ。
彼女の笑顔に安堵する。

近くの映画館へ辿り着く。
やはり、無難にここはラブストーリーだろう。
「ここが、映画館というところなのですね。車の中で外観を見たことはあるのだけど、入るのは初めてだわ」
彼女が映画館の建物を見上げる。
そこには、今上映中の映画のパネルがいくつも並んでいた。
「俺も、実は初めてだ」
「まあ。では、今日は二人で初めてのことをしましょう」
彼女はにっこりと笑った。
「そうだな・・・。どの映画にする」
映画のパネルを見上げる。
「そうですわね・・・」
彼女も同じように映画のパネルを見上げる。
「ラブストーリーが良いわ。うんと、甘くて、素敵なもの」
「そうか・・・」
パネルの横には、簡単なキャッチフレーズが載っている。
「これが良いわ、わたくし」
彼女が一つのパネルを指差す。
それは、「彼と彼女の物語」とあった。
キャッチフレーズは、“彼は彼女を、彼女は彼を、愛することをあきらめなかった”とあった。
「そうだな」
「ヒイロもこれでよいのですか?あなたが嫌なら別のものでも・・・」
「いや、これでいい」
「そうですか」
「入るか」
「はい」
チケットを2枚買い、指定された劇場に入る。
まだ上映時間より少し時間があるとはいえ、平日だからだろうか、入っている人は少ない。
騒がれることはないか・・・。
そんなことを無意識に考えてしまう。
「どこにしますか?どこに座ってもよいのですよね?」
「ああ、そうだな。自由だ」
「では、どこがいいかしら」
彼女が広い劇場内を見渡す。
「真ん中よりは後ろが良いですわね。大きなスクリーンですから、あまり前だと首が疲れてしまいそうです。目にも悪いですし・・・」
彼女は真面目に言い、もう一度中を見渡す。
「そこはどうかしら」
彼女が真ん中より後ろの端を指差す。
「ああ。お前の好きなところで・・・」
「もう、ヒイロったら遠慮しては駄目です。今日は二人で初めてのことをするんですから。あなたの意見も聞かせてください」
「そうだ・・・な。俺も、真ん中より後ろがいいと思う」
「そうですか。では、そこに」
自分が先に歩き、彼女が後ろを連いてくる。
椅子は思ったよりもクッションが良く、座り心地も良かった。
二人で並んで腰を下ろすと、ヒイロ、と彼女が話しかけてきた。
劇場内はすでに薄暗く、たぶん、ばれないだろう。
そんなことを考えていた俺に。
「今日は、ありがとう」
「何だ、突然」
「あなたから誘ってくださるなんて、思ってもみなかったから、とても嬉しくて・・・」
「そうか・・・」
「ありがとう、ヒイロ」
彼女が微笑む。
良かった・・・と心から思った。
慣れないことをするのも、たまには・・・いかもしれない。

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