「恋人の特権」


「え?」
リリーナは確認するように相手を見つめた。
「もう一度言ってください」
「彼は、しばらく仕事を休むそうです。その代わりに僕らが代理を務めます、と言ったんです」
「ヒイロがお休み・・・?」
「ええ」
と、カトルは苦笑して頷いた。
「何故ですか?」
「たぶん、すぐには信じられないかもしれないですけど・・・風邪をひいて熱が出たそうです」
リリーナはしばらく声が出なかった。
「風邪をひいて熱・・・?彼が、ですか?」
「ええ・・・。僕らもいまだに信じられないんですけどね。誰よりも丈夫だと思っていた彼が風邪をひいて熱を出すなんて、ね」
「わたくしも、信じられませんわ」
「ですよね。嘘のような話ですけど、どうやら本当らしいんです。電話をしてきた彼の声、いつもより低かったですし、少し咳きもしていましたから」
「そうですか・・・」
リリーナは心配そうに眉を寄せた。
「明日、お見舞いに行きたいのですが・・・。確か、明日の午後と、明後日は一日、オフでしたよね?」
リリーナはカトルにスケジュールを確認する。
「ええ、空いていますね」
カトルが手帳を見ながら頷く。
「心配ですよね。」
「ええ・・・」
リリーナは神妙な顔で頷いた。


次の日。
彼の部屋を訪れた。
ドアを開けた彼は、気だるそうな顔をしていた。
どうやら、本当に風邪をひいているようだ。
「風邪をひいたと聞いて、お見舞いにきたのですが・・・」
「ああ・・・」
彼は短く答えて、腕を引っ張ってわたくしを部屋へ入れた。
少し強引にも感じるその行動も、マスコミに見つかるのを避けるだめだろう。
どんな時でも油断はできない。
そんな世の中。
「大丈夫なのですか?」
「熱が少しある。・・・油断した」
彼は不機嫌そうにつぶやいた。
「あなたが風邪をひくなんて、驚きました」
「こんなことは初めてだ」
「起きていても大丈夫なのですか?熱があるのでしょう?横なって休んでいてください」
「大丈夫だ」
と、ゴホッと小さな咳をする。
「大丈夫じゃないですわ。横になってください」
少し強い口調で言い、彼を寝室へ押し戻すと、彼は諦めたようにベッドに横になった。
ほっと息をつく。
「食欲はございます?」
「・・・ない」
「でも、何か召し上がった方がよいわ。何か栄養のあるものを・・・。台所、借りますね」
立ち上がりかけた時、ぐいっと腕を引かれる。
「お前が作るのか?」
その言葉に少しムッとしたものの、気を取り直して
「パーガンにレシピを教えていただきましたの。大丈夫ですわ」
「・・・手伝う」
そう言って彼が体を起こすのを
「ダメ。病人は寝ていてください」
強引にベッドに押し付け、用意してきたエプロンをつけて台所に立つ。
材料を並べ、よし、と気合を入れる。
正直、料理は得意とは言えないが、せっかくお見舞いに来たのだから、それらしいことしたかった。
パーガンに、彼のお見舞いにいくことを告げると、簡単にできて栄養のある食事を教えてくれた。
レシピを見ながら材料を用意する。
「鍋は・・・」
と、戸棚を開けると、鍋やらフライパンやらがきちんと並べて置いてあった。
彼はきちんと自炊するらしい・・・と、何でも出来てしまう彼に改めて感服する。
私も負けていられないわ、とますます気合が入る。


ガチャガチャと台所で音がする。
どうやら、彼女は本気らしい。
正直、彼女に包丁を持たせたくない。
彼女を信じていないわけではないが、不安だ。
本当に、油断をした。
あの日、会談は外で行われた。
木枯らしの吹く、肌寒い日。
決して薄着をしていたわけではなかったが、自分の体を思った以上に過信していたのかもしれない。
こんなに簡単に風邪をひいてしまうとは、不覚だ。
自分がやるせない。
俺が仕事を休んだと知ったら、ましてや、普段、病気などしたことのない俺が風邪をひいて熱を出したなどと知ったら、彼女が見舞いにくることは予想できる。
だから、彼女には伝えなかったのに。
あいつらを信用しすぎた。
カトルなら大丈夫かと思ったんだが・・・。
甘かったな。


「えっと、後は弱火でくつくつと煮るんでしたわね。それで、完成。あら、思ったより簡単だったわ。よかった」
火を取り扱う時は途中で席を離れないこと。
パーガンにきつく言われた。
ちゃんと横になっているか、彼の様子を見に行きたかったが、出来上がるまでは我慢しよう。
くつくつと鍋が沸騰してきた。
「さあ、出来上がりね」
火を消す。
「いい匂い・・・。上手に出来たみたい。早く彼に持って行ってあげましょう」
茶碗によそい、レンゲとともにお盆に用意する。
「ヒイロ。出来ましてよ」
枕もとのサイドテーブルに置く。
「ヒイロ・・・」
彼は・・・ぐっすりと眠っていた。
少し息が荒いのは、熱のせいだろう。
薬はちゃんと飲んだのだろうか。
彼のことだから、病院には行っていないだろう。
寝ている彼を起こすのはためらわれた。
彼が目を覚ますまで待とう。
ベッドの側に膝を落とし、座り込む。
こうして彼の側にいられるのは、どれくらいぶりだろうか。
私が忙しい時、彼も忙しい。
近頃では、仕事以外で彼の側にいられることは、ほとんど無いと言っても過言ではない。
だからこそ、大切にしたい。
今のこの時間を・・・。


 ふっと目を覚ます。
伸ばした手の先に、何かが触れる。
指に絡まる、柔らかな感触。
体を起こし、それを確かめると、彼女の髪だった。
彼女はベッドの側に座り込み、ベッドに顔を伏せて眠ってしまっている。
仕事の疲れが残っているのだろう。
確か、ここに来る前は仕事だったはずだ。
本来なら、少しの休みでも有効に使い、体を休めるべきなのに。
それが・・・。
そんなことを思いながら、しばらく髪を撫で、彼女の寝顔を見つめていた。
しかし、こんなところで、しかもこんな状態で寝ては、風邪をひく。
可哀想には思ったが、肩を揺すって起こす。
「リリーナ。起きろ」
「ん・・・ん・・・」
「起きろ。風邪をひくぞ」
「ん・・・。ヒイロ・・・?」
彼女が眠たそうな顔を上げる。
しかし、その瞳がハッと見開かれる。
「風邪をひくぞ」
「や、やだわ。わたくし、寝てしまって・・・」
彼女は体を起こし、乱れた髪を慌てて直す。
「ごめんなさい。寝るつもりでは・・・」
「気にするな。疲れているんだろう。ベッドを貸してやるから、少し寝ろ」
「でも、病人のあなたを差し置いてそんなことは・・・」
「そんなに大袈裟な病気じゃない。ただの風邪だ。昨日の夜、薬を飲んで寝たからだいぶ楽になった。それに、少し、腹も減った」
彼の言葉で思い出す。
「あっ・・・。そうでしたわ、わたくし、お粥を作ったんだったわ。すっかり冷めてしまったから温めてきます」
「お粥を作っていたのか」
それにしては時間がかかったな。
とは、さすがに口には出さなかったが。
「はい。ミルク粥です。体に優しいし、温まるので、風邪にはぴったりなんですのよ。少し待っていてくださいね。温めてきます」
「・・・ああ」
引き止めるのはやめた。
たまには、彼女の好きなようにやらせてみようか。
「もう少し、ベッドで横になっていてくださいね」
俺の体をベッドに押し付け、彼女が再び台所に立つ。
しばらくして、湯気の立つ鍋をお盆に載せ、彼女が戻ってきた。
「出来ましたわ。今、茶碗によそいますわね」
盆をサイドテーブルに置き、茶碗にミルク粥をよそう。
「はい、どうぞ。熱いので気をつけてくださいね」
「ああ」
茶碗を受け取り、一口、口に入れる。
「どうですか・・・?」
彼女が恐る恐る、というように不安な顔で覗き込む。
「ああ・・・。いいんじゃないか?」
「いいんじゃないかって・・・、そんな適当な・・・」
彼女は不満そうだ。
「おいしいか、そうでないか、はっきりと言ってください」
「・・・おいしい」
ぼそりと言うと、彼女はパアッと顔を輝かせた。
「本当ですか!?」
「ああ」
「良かった・・・。練習した甲斐がありましたわ」
練習・・・。
これを作るのに練習か・・・。
彼女らしい。
彼女の何でも一生懸命になるところが、羨ましく思った。
「俺のためか?」
「え?」
「俺のために、練習したのか?」
「えっ・・・。あ・・・。はい。ヒイロのためです」
彼女が赤くなった顔を伏せる。
不思議だな。
彼女を見つめる。
年相応の女性にも、自分よりも年下の少女にも、彼女は変化する。
大人かと思えば子供。
だから・・・飽きないのか。
と、妙に納得してしまった。
やがて、彼女が伏せていた顔を上げ、不思議そうな表情で俺を見た。
「何を笑っていらっしゃるの?」
「・・・何でもない」
「少しは食欲は出まして?」
「ああ・・・。これなら、食べられそうだ」
「そうですか。良かった・・・。食欲が無いとは言っても、何もおなかに入れないのはかえって体に悪いですわ。少しでも、おなかに何か入れないと」
「ああ。そうだな」
「ふふ・・・」
彼女が突然笑い出した。
「何だ」
「いえ。いつも、逆の立場でしたから」
そう言われて気付く。
「ああ・・・。そうだな」
「嬉しいです」
「嬉しい・・・?」
「あなたの看病が出来て、嬉しいなんて、不謹慎だけれど、嬉しいの。ようやく、恋人らしいことが出来ました」
「そんなことを気にしていたのか」
「好きな人の看病を出来るのは、恋人の特権でしょう?」
「リリーナ・・・」
「わたくし、ようやくあなたの恋人になれたのね」
「前からだろう」
「え?」
「お前は俺の・・・」
言いかけて、彼女の真っ直ぐな瞳にぶつかり、言葉に詰まる。
「最後まで言ってください。ヒイロ。お前は俺の・・・、何です?」
これでは誘導尋問だ。
などと思いながら、仕方ないか・・・と諦める。
「恋人だ」
「・・・はい」
彼女が頬を染めて微笑む。
「リリーナ」
そんな彼女が愛しく感じ、自分が病人であることも忘れ、腕を伸ばして抱き寄せた。
彼女は素直に俺の腕に納まった。
「あなたに抱きしめられるのは、どれくらいぶりでしょうか」
「そうだな」
「・・・わたくし、あなたに風邪をうつされても構いませんわ」
彼女が顔を上げ、にっこりと笑う。
「リリーナ・・・?」
「明日はオフですし・・・」
「リリーナ・・・、それは・・・」
「あなたの好きに解釈してくださって結構ですわ」
「・・・お前には適わない」
小さく愚痴て、彼女を強く抱きしめた。
「俺の熱を・・・もらってくれるか?」
耳元で囁くと、彼女は耳まで顔を赤くし、コクリと頷いた。
耳元に寄せた唇で彼女の耳をそっとなぞる。
それだけで、彼女は体を震わせた。
「熱いか?俺の体・・・」
「ええ・・・。でも、わたくしが奪ってしまうのね」
「それは、お前が望んだことだろう?」
彼女が何か言い返す前に、その唇を塞ぐ。
「ん・・・」
彼女は小さく声を漏らす。
こうして彼女と触れ合うのは、どれくらいぶりだろうか?
誰にも邪魔されず、二人しか知らない部屋で。
これも・・・恋人の特権だろうか?


 目覚めたのは朝。
あのまま、彼女と抱き合った後、今の今まで目覚めなかった。
熱による気だるさは消え、今は清々しささえ感じる。
彼女の言葉通り、彼女が俺の熱を奪ってくれたのだろうか?
ふと心配になり、まだ夢の中にいる隣の彼女の額に触れる。
と、同時に彼女が目を覚ました。
「体は、大丈夫か?」
「ええ・・・。大丈夫、何ともありません」
彼女が微笑む。
「そうか・・・」
「あなたは?」
「俺も、熱がひいたみたいだ」
「そうですか。良かった・・・」
「お前のおかげだな。少々、荒治療ではあったがな」
意地悪く言うと、彼女は顔を赤くして照れたように微笑った。
「これも」
「恋人の特権・・・か?」
言いかけた彼女の言葉を奪う。
「ふふ。そうよ」
「・・・覚えておく」

今度、彼女が倒れた時は同じ手段を取ろうか?
彼女は驚くかもしれない。
けれど、俺はきっと言い返すのだろう。
“恋人の特権”だと・・・。


Fin

「あとがき」
キリ番、11111ヒットを踏まれました、vanity様に捧げます。
書けましたよ〜。甘い?甘いよね?ね?
リクエスト内容は、『「熱を出したヒイロ(ありえない!)の看病をするリリーナ」をお願いします。絶対にありえなさそうな熱を出すヒイロが読んでみたいです!体を壊すなんてありえなさそうなヒイロ(生傷は絶えなさそうですが)を自分の睡眠時間を無視して看病しちゃうリリーナにヒイロはどんな反応をするのか?リリーナはどんな風に看病するのか?等々。よろしくお願いします!前回はシリアスなリクをお願いしたのですが今回はとっても甘々なものが読みたいので是非KISSもお願いしたいです!』でした。
 そうですね、最近は甘い話をあまり書いていない気がしていたので、甘〜い内容になるように頑張りました。半分近く書いても題名が決まらなくて、どうしようかな〜と困っていたんですが、話の中でリリーナが使ったセリフからそのまま取りました。そしたら、後半はそれをキーワードみたいにいっぱい使ってしまいました。キスもお願いしたいとあったのですが、どうやってキスさせようか悩みました。いつも、なるべく自然な形になるように、を目指しているので、今回もそんな感じになるように頑張りました。甘い内容にはなったと思いますが、甘々になったかは不安・・・。いかがでしょうか?
 それでは、これからもマイペースにやっていきますので、末永くよろしくお願いいたします。

2005.11.17 希砂羅